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青葉の放言

大学生の戯言を綴っています。身の回りの出来事から政治・社会問題に至るまで雑多なことを書き連ねております。

参院選総括② そもそも「憲法」って何だ?

憲法改正」へひた走る人々

 参議院選挙の結果を受けて、改憲の機運は高まりを見せています。安倍首相も12日の会見で憲法改正への意欲を示しました。

 懸念すべきは、「憲法改正」が目的化していることです。戦後のマッカーサー占領下で起草され制定された憲法は変えなければならない、という言質をしばしば耳にします。保守系団体「日本会議」の会長が13日に記者会見し、改憲を希望する旨を示したことは大きな話題となりました。

 自民党や、それを支援して改憲を後押しする勢力がベースにしているのが自民党憲法草案です。これは正直言って問題だらけです。この憲法草案をつくった当時の自民党総裁である谷垣幹事長は「エッジを効かせた」と発言し、現在の自民党議員も「たたき台」であり決定版ではないと述べています。それにも関わらず安倍首相はこれを「ベースにして」改憲論議を行うと述べました。彼らにとっては「憲法」の中身が問題なのではなく、「憲法改正」の事実が大事なのではないでしょうか。

 自民党憲法草案の問題点は後で指摘しますが、中身が雑であるという印象を受けます。本当に憲法改正が必要だと思うならば、国民の合意を得られるようにもう一度憲法草案を作成すべきです。

憲法を守れ」という言葉にすがる人たち

 改憲推進派にいろいろな問題はあるけれども、「憲法を守れ」と謳う護憲派の人々も相当見当違いのことを述べているような気がしています。

 「改憲阻止」で参議院選挙を戦ったことからもその戦略のまずさが分かります。特に民進党は「まず3分の2をとらせないこと。」という謎のキャッチフレーズで参院選を戦いました。経済で正面からぶつかり、その結果として3分の2を阻止した方が明らかに建設的であったにもかかわらず、です。憲法は確かに大切だけれども、現行憲法を必要以上に神格化してしまったために、「憲法を守れ」という言葉から離れられずにいるのです。

 改憲阻止は手段であって目的ではありません。改憲阻止という「手段」について主張するならば、国のグランドデザイン(目的)は明確でなければならないはずです。しかし、野党は国の基礎的な機能である経済のグランドデザインすら示すことができなかったのです。この点で、野党の「改憲阻止」はよくわからないのです。

 野党がすべきであるのは、まず、国のグランドデザインを大枠で決定することです。安全保障も経済も社会保障も統治機構改革も、すべて一度党内で議論の俎上に挙げるべきです。その上で、憲法は本当に変えなくてよいのか、絶対に守りたい条文は何なのか、少なくとも党内でコンセンサスを得るような努力をすべきです。改憲阻止を謳うのはそれからです。

素朴な憲法

 これまでみてきたように、改憲派護憲派も、本来あるべき憲法論議から離れたところで憲法を語っています。素朴な私の憲法論(大したものではありませんし、憲法学に特別依拠しているわけでもありません)を簡単にまとめたいと思います。

 

 憲法は「国や権力を縛るもの」である、という定義は揺るがすべきではないと思います。市民革命以降発達してきた「憲法」というものの根幹を成す部分であるからです。人権規定が一切ない憲法立法府や行政府の役割が一切明記されていない憲法。そんなものはもはや憲法ではありません。

 その前提に立ったうえで、憲法を再定義するならば、「最大公約数」「共通の理想」という言葉がしっくりくると思います。憲法とは、最大公約数です。憲法とは、共通の理想です。国民全員が納得できる最大公約数のルールだけが書き込まれた、共通の理想集であるべきです。その他の意見が割れるようなテーマに関しては法律で定めれば良いと思っています。憲法には国民全員が納得できることだけが書き込まれるべきです。

 その意味で、自民党憲法草案は非常に危険です。自民党憲法草案の中では、人権の制約概念として「公の秩序」という言葉が何度も登場します。人権の制約の程度は強かろうが弱かろうが政策レベルの話です。それを憲法で規定してしまうことの危険性を理解する必要があります。おおさか維新の会が示している憲法草案に関しても同様です。教育無償化を憲法に書き込んでしまうことで、のちの時代に変更が難しくなります。差別化を図って独自の政党カラーを出したいのは理解できるけれども、本当に変える必要がある条文は何なのか?あるいは、今の時代、そしてこれからの時代において普遍的な理想は何なのか?ということへの意識が薄いように感じられます。

 天皇の行為、三権の機能、自衛隊国防軍)の役割、あるいは教育の役割。憲法の段階では抽象的で構わないと思います。その代わり、国民全員が合意できるような条文にすることが重要です。

社会を知ることから始まる憲法論議

 参議院選挙を経て、憲法改正の論議に私たち国民も参加していくことになるでしょう。その際、社会を知ることが重要になってきます。それぞれの問題にどのような立場があり、どのような点で争っているかということを理解しなければ、憲法改正論議は進みません。ですから、国会議員の皆さんには、こういった整理から始めていただきたいと思っています。国民の側も、その論議にできる限りコミットしていくことが望まれます。

 例えば現行憲法の9条2項。自衛隊を戦力と見なさないことへの疑問は根強くあります。しかし、実際なされている議論は「変えるべきだ」「変えるべきじゃない」の水掛け論です。もうすこし国内の議論を整理してみると、自衛隊は必要ないとする立場、自衛隊は必要だが現行憲法を変える必要はないという立場、「自衛隊」を明記する形で憲法を改正するべきという立場、「国防軍」「自衛軍」を明記する形で憲法を改正するべきという立場があります。この4つの立場を考え、どうすれば折り合いをつけられるのか、ということを考えなければなりません。それぞれの立場からグランドデザインを語ってもらうこと、そして必要な場合には説得し納得してもらうこと。長い長いプロセスを経て合意を形成していかなければなりません。

 憲法改正には長い長い時間がかかると思います。「改正」「改正阻止」に躍起になっても意味はありません。それぞれの理想がどのように食い違っているのか?、そして、どうすれば国民全体のコンセンサスを得られるのか?ということ。まずじっくりと社会を見つめて、そこから考えていくべきです。これから始まる憲法論議は、21世紀における日本のあり方、あるいは世界のあり方を決めるものになります。将来に対する重い重い責任を噛みしめながら、その道を歩んでいかなければなりません。

 

参院選総括① すれちがい選挙の果てに

「歴史的選挙」の「つまらない結果」

 先日行われた参議院選挙において、与党が勝利しました。なんとも予想通りの結果で、(政治に「面白い」という言葉は相応しくないのかもしれないけれど)正直いって面白くない結果だったことは間違いありません。「歴史的」と言われた18歳選挙権でしたが、10代の投票率は全体より10%ほど低い45%にとどまりました。同時に、全体の投票率も、過去3番目に低かった前回より高いとはいえ、それに準ずる低さでした。

<参院選>選挙区投票率54.70% 過去4番目の低さ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 議席に関しても、2つの「歴史的」なことが起ころうとしていました。1つは、「改憲勢力による3分の2」でした。これに関しては今日のメインでもあるので後でじっくり書きたいと思います。もうひとつは、27年ぶりの「自民党単独過半数」でした。Twitterではトレンド入りもするなど、その可能性は十分にありましたが、結果的にはあと1議席という形で実現しませんでした。(その後、13日に平野達男参議院議員自民党に入党の方向を固め、27年ぶりの単独過半数が達成される見込みとなっています。)いずれにせよ、今一つ盛り上がりに欠ける選挙であったことは間違いありません。

憲法改正というウラの争点

 選挙が盛り上がりに欠けたのは、与野党双方の責任です。というのは、争点を設置した与党と、争点に乗らなかった野党、双方に非があるからです。

 安倍政権は、参議院選挙を迎えるにあたって、オモテの争点を経済、ウラの争点を憲法に設定しました。安倍政権の強みは経済であり、弱みは憲法問題に代表される民主手続きの履行だからです。有利な争点をオモテにおけること。これは政権与党の権力です。

 そのうえで、自民党が負けそうな東北や北海道に小泉進次郎衆議院議員を送り込み、必死の選挙運動を展開しました。明らかに優勢であったにもかかわらず、ここまで必死になったのは、与党側も「3分の2」を意識していたからでしょう。隠したのは確かに非があります。しかしながら、これがまさに権力というもので、憲法の「ウラの争点」化を責めるのには限界があります。

 野党は、「ウラの争点」で戦うことしかできませんでした。オモテの争点である経済に関しては、「成長と再分配」という点で基本的には一致していましたし、そこから先の細かい政策に関しては、程度問題や数値の良し悪しでしか語ることができていませんでした。「ばらまく自民党」に対して「超ばらまく民進党」になるのか、「自由を目指す民進党」になるのか(野党共闘していて構造改革を標榜するのは無理でしょうが)。そこのグランドデザインがあまりにぼやけ過ぎていたことが野党敗北の最大の原因です。オモテを語らずウラだけ語っても、全く魅力的でないのです。

 「ウラの争点」をしばらくしてから「オモテの議題」にするのは、安倍政権の「技術」であり「狡猾さ」です。それは諦めるしかありません。特定秘密保護法案も安保法案も、そうして通されてきました。1年もすれば憲法改正が議論の俎上に載ってくることは、間違いありません。そうであれば憲法改正論議について考え始めなければなりません。もちろん、経済やそこから生じる社会保障のあらゆる問題について考えることは必要です。しかしそれ以上に、憲法改正について真剣に考えなければなりません。憲法については、後半の記事の中で述べたいと思います。

すれちがい選挙の果てに

 今回の選挙は、一言でいうならば「すれ違い選挙」でした。投票を啓発するメディアと政治に関心のない国民がすれ違い、経済で勝ちたい与党と憲法を守りたい野党がすれ違いました。

 すれ違っていては、何も生まれません。様々な選挙分析のなかで三浦瑠麗氏の「参議院選挙総括 誰が負けたのか?」が大きな話題となっていました。その最後の一文は以下のように記されています。

 「絶望することなく、いや、正しく絶望したのちに再び歩み始めるのです。」

 すれ違い選挙の果てに私たちは何を絶望するべきなのでしょうか。絶えるべき望みも見つけられないままにこの選挙が終わってしまった気がしてなりません。

投票に行くべき理由・行かなくて良い理由

投票せずじまいの私

 明後日10日は参議院議員選挙の投票日となっています。選挙権が18歳以上に引き下げられたことで非常に注目度の高い今回の選挙ですが、期日前投票不在者投票も進んでいます。各地で期日前投票投票率が発表されていますが、前回よりは上昇しているようです。

 私も投票しようと思いましたが、不在者投票の手続きが遅れたため投票せずに投票日を迎えてしまいます。そして今週末は所要につき東京へ向かうため、結局投票権を行使せずに選挙を終えてしまうことになります。

 今日は、罪滅ぼしというわけではありませんが、今回の選挙における投票することの意味や無意味について語っていきたいと思います。ここで「無意味」と言ったのは、投票なんかさらさら行くつもりはないよ、という人たちの弁護もしてみようと思ったからです。「投票に行くべきだ」という風潮に抗う天邪鬼な私ですが、まずは世の中の流れに乗って「投票に行くべき理由」を考えてみましょう。

投票に行くべき3つの理由

 今回、若者が投票に行くべき理由は大きく分けて3つあります。

 1つ目は、さんざん言われている通り、「若者のための政治が実現するから」です。「高齢者に3万円給付」のニュースの際にも明らかになった通り、近年の政治は明らかに高齢者優遇傾向にあります。借金を背負い、年金が消え、少子化が進み、、。正直言って、現代の若者世代の未来はお先真っ暗なのです。そんな中、18歳参政権に際して各党が「給付型奨学金」を検討するとしています。政治家というのは、票がなくては何もできない存在なのです。ですから18歳参政権が導入される今回の選挙で、ようやく給付型奨学金の導入が検討されているのです。

 もし今回、給付型奨学金や若者向けの政策に支持が集まれば、今後も若者向けの政策が徐々に徐々に増えていくはずです。若者の投票数が多くなればなるほど、たとえそれが白票だったとしても、若者が政治家を動かすことができるのです。「若者のための政治」を実現するための流れをつくる重要な選挙であると言えます。

 2つ目は、「政権への不満を示すことができるから」です。投票することは現状の政府を白紙委任することだ、とよく言われます。少しでも不満があれば、それを変える権利が私たち国民にはあるのだ、と。

 安倍政権への不満、というわけでは必ずしもないと思います。野党に不満を持っていれば、与党に投票すれば良いのですから。「怒り」「不満」というエネルギーを投票という形で示すのもこの選挙の大きな意義なのです。

 3つ目は、――あまり語られていませんが、――「今回が投票習慣をつけるきっかけだから」です。今回はとりあえず選挙に行こう、選挙に行こう、と有名人も政治家も評論家も口を揃えて言っています。10代・20代に対するメディアの注目度も非常に大きくなっています。しかしながら、次の国政選挙で、メディアは今回と同様の報道を行うでしょうか?選挙管理委員会も10代向けの企画を連発するでしょうか?正直言って、今回限りだと私は思っています。たとえ今回の選挙で若者の投票率が上昇したとしても、次回は間違いなく下落します。全体的に「選挙に行かなくていいや」という空気がはびこるのは目に見えています。世間の選挙熱が冷めることを考えると、今回投票に行かない人たちにとっての「はじめての投票」は永遠にやってこないかもしれません。

 以上が投票に行くべき3つの理由です。

投票に行かなくてよい理由

 冒頭で述べた通り、私は今回の選挙で投票しません。しかし、不在者投票が間に合わないとわかった後も迷いました。やはり、地元に帰省してでも投票すべきなのではないか、と。それでも最後は「投票しない」という選択をしたのです。そこには、2つの大きな理由がありました。

 1点目は、「改憲勢力が3分の2を超える情勢」と報道されたためでした。まず、私は特別与党を支持しているわけではありません。しかし、野党の「護憲」「3分の2阻止」という路線も支持していません。そのような状況になったとしても、特に不満を持つわけではありませんでした。従って、投票することに対するインセンティブはそれほど発生しなかったのです。

 続いて2点目。今回の隠れ争点は憲法改正ですが、それは国民投票で決めることだからです。野党が3分の2阻止を声高に叫んでいますが、あれには少々見当違いなところがあります。というのも、国民が憲法改正に関して判断を下す機会は、選挙ではなく国民投票だからです。ここで仮に与党が3分の2をとっても、「憲法改正」というビッグイシューについてはまた判断する機会があります。「次でいいや」というと相当無責任に聞こえるかもしれませんが、今回判断すべきは安倍政権の政権運営であって憲法の改正ではないなのです。

 まとめると、「改憲勢力3分の2超」という結果に不満がない人、また、来るべき国民投票で意思を示すつもりのある人は今回投票する必要が必ずしもない、ということになります。投票するかどうかまだ迷っている人は、「投票すべき理由」と「投票しなくて良い理由」を見比べて決めてほしいと思います。

私の「民主主義」観

 世間的には「投票率向上」が一種の流行語になっていますが、私は必ずしもその必要はないと思っています。投票したい人は投票すれば良い、投票したくない人は投票しなければよい、というスタンスです。

 このスタンスは、私の「民主主義」観と密接に関わっています。「民主主義」というと、左寄りの人たちを思い浮かべるかもしれませんが、ここでいう民主主義とは、もっと本質的なものであり、得体のしれないものです。言うなれば、「市民の素朴な感覚による政治」ということになるでしょうか。

 大人だって、政策を吟味して投票しているわけではありません。しかし何かしらの思いがあって投票しているわけです。民主主義国の象徴であるようなイギリスでさえ、「Bregret」するような時代です。投票の時には一生懸命考えたにもかかわらず、です。理性や合理性やデータだけで語るより、市民の素朴な感覚で政治を捉えた方がしっくりくることも多いのです。

 何が言いたいかというと、細かな政策など考える必要はないから、素朴に行動すればよい、ということです。その結果として、特に投票する必要がないと感じたなら投票しなくてよい、何か不満があるなら投票すればよい、ということになります。自分の感情に正直でいること。それこそが本来あるべき民主主義、ナチュラルな民主主義なのだと思います。

おわりに

 投票するもしないも、一人一人の自由である、ということを述べてきました。しかし、その「素朴な感情」を持つためには、メディアとつながっていなければなりません。政治のことを少しでも考えなければなりません。

 お年寄りばっかりの社会でどうやって発展するのですか?将来みんなで貧しく暮らすことになるけどそれで良いのですか?テロ対策どうするのですか?自分の国は自分で守るべきだと思いますか?

 投票するにせよしないにせよ、今回の選挙を通じて、若者はすこしでも「政治」や「未来」に思いを馳せる必要があると思います。

 

Brexitの衝撃~今後のシナリオをみる~

Brexit Shock 

 昨日午後、世界に激震が走りました。イギリスで行われていた国民投票により、同国のEU離脱が決定したのです。そしてこれはEU圏のみならず、日本やアメリカにも大きな影響を及ぼしました。日本では、急激な円高と株安が進み、経済ニュースとしてメディアで大きく報道されています。ツイッター上では今回の騒動を「Britain Exit」略して「Brexit」として、盛んにツイートが交わされています。

 さて今日は、EU離脱の背景と、今後の展開を一つ一つ予想していきたいと思います。話題が多岐にわたりますので、一つ一つの論考はそれほど深いものではありませんが、さらっとお読みいただければ幸いです。  

EU離脱残留か 

 まずは、「なぜイギリスはEUを離脱したがっているのか」というところから話を始めましょう。少し複雑ですが、正確な言い回しをすれば、「『移民のせいで』たくさんの辛いことが起こっていると多くのイギリス人は感じているから」です。本当は移民のせいでないにもかかわらず、です。

 今回の投票結果を分析してみると、離脱を支持しているのは高齢者と地方の人々でした。なぜ、彼らは離脱を支持したのか?それは「生活に対する不満がたまっていたから」です。彼らの生活が苦しいのは、イギリス政治のせいでもあり、中東のせいでもあります。東欧や中東から大量に押し寄せる移民もそのone of themではあるけれども、それがすべてではありません。むしろ、低賃金で働いてくれる移民がいた方が生活は楽になるのかもしれません。それにも関わらず、彼らは、自分たちの苦しさをすべて「移民」に押し付けてしまったのです。

 その根底にあるのは、「俺らは大陸とは違うんだぜ」という島国イギリスのプライドでしょう。経済的にはマイナスの影響があることはわかっていても、「未来」にそれほど重きを置かない高齢者を中心に、離脱の動きが進んだのです。

今後はどうなる? 

 Brexit Shockの今後を様々な面から考察していきたいと思います。

①イギリスとEU

 EUとイギリスの今後の関係について、予測されるところを簡単に記しておきます。EU条約50条2項に従ってみていきましょう。鍵カッコ内は条文の文言です。まず、離脱するという「通知」がいつEUに伝わるのかという問題があります。その「通知」を受けて「協定」が作られるはずですが、その協定に他国がどの程度合意するのかしないのかという問題。さらに、その合意内容にイギリスが批准するのかどうかという問題があります。離脱まで2年、と言われていますが、実際には3年以上長引く可能性もあると思います。

 手続き的な面でなく、「協定」を含めた経済的調整がどのくらい行われるのかという問題も一方ではあります。というのは、EEAという枠組みの中にいさえすれば、EUを離脱したとしても経済環境は今とほとんど変わらないようなのです。もちろん、枠組みだけの問題ではなくEU側から要求される「離脱の条件」のようなものも考慮に入れる必要があるでしょう。いずれにせよ、政治的独立と経済的独立が分離するか否かが焦点となるでしょう。

②イギリス国内

 国民投票敗北を受け、キャメロン首相が辞任を表明しましたが、事態はそう単純に解決しません。ボリスジョンソン氏がリーダーになるにせよ、EU離脱まで、そしてEU離脱後も、イギリス国内の混乱はしばらく続くだろう、というのが大方の見方のようです。

 簡単に言えば、中産階級の没落が予想されるということです。この階層は「離脱」を支持した層ですが、長期的に見れば経済のパイ縮小に伴う没落は避けられないというのが実情です。今回の国民投票を一つの契機として新たな衝突がたくさん生まれました。女性議員の殺害もイギリス政治の常識からすれば考えられないことのようです。今後どのようにして国内の統一を図っていけるのか、新リーダーの手腕が問われるところです。

 「連合」としての動揺も避けられないでしょう。今日未明の時点で「スコットランド 2度目の国民投票へ」というニュースが日本でも流れていますが、比較的早い段階でスコットランドは独立しそうです。同時に、残留派が上回った北アイルランドでも同様の動きが出る可能性は否定できません。こちらの動きにも注目する必要があります。

③EU内

 イギリスの動きに追随するのはどこで、その動きに歯止めをかけるのはどこか、という視点から見てみましょう。

 まず、昨年の移民大量流入をうけ、右派・ナショナリズムを標榜する政党がEU各国で成長していることを確認しなければなりません。オランダ自由党、フランス愛国前線のルペン氏、などです。EUの盟主ドイツでも右翼政党が成長しています。こういった勢力がどういったレベルで各々の主張を行うのか、注目しておく必要があります。

 次に、EUを離脱ししそうな国々についてみていきたいと思います。昨日のフジテレビ「ユアタイム」のなかで名前が挙がっていたのは、成績の良いデンマーク、成績の悪いギリシャ、という国々です。EUが泥船になれば、そこに恵みをもたらす者も、さこから恵みを享受する者も去っていくということです。

 ドイツやベルギーはこうした動きを強くけん制しています。メルケル首相がEUの結束を呼び掛けたように、もう一度EUとしてのブランドを取り戻そうじゃないか、という流れも当然あります。移民政策では失敗の烙印を押されたメルケル氏ですが、経済問題でもう一度EUを動かそうという意志が見て取れます。ただ、メルケル氏の任期も来年で終了しますから、その後EUのリーダーシップは誰がとるのか、という問題も存在しているのです。

④世界経済と日本

 他の国々はどう思っているのか、というところを一気に見ていきたいと思います。

 まずこの離脱にほくそ笑んでいるのはロシアでしょう。ウクライナにしても中東にしても、EUにブレーキをかけられ続けてきました。その重しが取れたロシアは自らイニシアティブをもって様々な政策を展開す必要があります。

 アメリカはどうでしょう。現時点では、株の下落などの影響が出ていますが、そこまでひどいものではないようです。ただし、トランプが大統領になったときの不透明感は忘れてはなりません。アメリカン・ファーストのトランプは、ビジネスパートナーとしてイギリスとうまく付き合うでしょうが、EUを抜け弱体化したイギリスにどこまで価値を見出し、どこまで強い要求をするのか、全く見当がつきません。衝突が起こる可能性もあります。

 中東はどうでしょう。経済的な不確定要素は沢山ありますが、やはり石油価格どのように変動するかでしょう。私が以前から言っている通り、サウジアラビアは崩壊する危険性を秘めています。移民排斥による不満と、経済低迷による貧困が相まって新しいテロは始まる可能性が高いというのが現状ではないでしょうか。

 中国に関してはEUとのつながりをよく理解していませんが、少なくとも経済的に危機的な状況であることはぬぐえないでしょう。イギリスとは別個の要因で崩壊する可能性もあります。

 さて、日本についてですが、冒頭でも述べた通り、かなり厳しい状況に追い込まれてしまいました。ドルも信用していない、ユーロもポンドも信用できなくなった。そん人々が追い求めるのは円だからです。円を買う動きが昨日急速に高まり、一ドル99円台まで一時円高が進みました。週明けもそれほど回復せず、一説によると95円台まで下がる可能性もあるとのことです。株価も13000円台までは下がるでしょうから、輸出産業を中心とする日本の経済界にとっては苦しい夏になりそうです。日銀の介入がどのようなタイミングで行われるのか行われないのか、という点が円高が長期化するか否かを決定しそうです。

 

 こうしてみてみると、イギリスのEU離脱は世界に大きな大きな影響を及ぼしていることがわかるのです。

舛添問題の本質〜雑なメディア報道に触れて〜

しばらく記事を更新できずにいます。PCの損傷によりネットを使用できずにいるためです。ただし、舛添問題についてどうしても言いたいことがあるので、簡単ではありますが、スマホから投稿したいと思います。

雑な報道ばかり

何が問題かというと、それは舛添要一と言う政治家のことではなく、今回の一連の出来事に対する、メディアの報道のあり方です。

今回の問題は、公私混同と言う文脈で語られています。確かに公私混同が1番わかりやすいところではあるけれど、それは問題の本質ではありません。そして、「公私混同」と言うマジックワードに隠れて、本来整理して語られるべき大切な問題が見えなくなっています。

例えば、「公私混同ひどいですよね」「人として信用できない」「政治家はルールを守るべきだ」「不誠実ですね」といった舛添批判は、皆さんも目にしたことがあるのではないかと思います。

しかしながら、これらの舛添批判が指摘している問題点は、すべて異なるのです。それを一切整理せずに、ただ好き勝手に自分の意見を述べるメディア報道は、あまりにも雑だと私は感じています。

舛添問題の整理

今回の舛添問題には、 5つの問題があると私は思っています。段階を追って順に見ていきましょう。

第一に考えるべきは、「事実を明らかにしようとしない」という倫理的問題です。舛添氏は、「第三者の目」と言う言葉を繰り返し、その事実が実際にあったかどうかについて真摯に調べようと言う姿勢を見せていません。

その事実が明らかになった上で、他4つの問題が浮上してきます。

次に考えるべきは、公私混同という倫理的問題です。家族連れで泊まったホテルの食費や、アマゾンで買った芸術品の代金を、政治資金として計上していたことがこれにあたります。

第三の問題点は、政治資金規制法違反という法的問題です。もし仮に、政治資金でないと本人が自覚しながら不正をしていたのなら、政治資金規制法違反に問われ立件される可能性があります。ただしここに関しては、舛添氏本人の言い分次第で立件の可否が決まるので、法に触れる事はないだろう、というのが大方の予想です。

第四の問題点は、「政治資金規制法がザル法である」という立法的問題です。現行の政治資金規制法には、倫理的な不正を簡単に許してしまうという問題があります。倫理的な問題と法的な問題がきれいにリンクしないことに対する問題提起があるのです。

最後の問題は、ーーー第一から第四の問題を総括する形になるのですが、ーーー「舛添都知事の人格が信用できない」という問題です。悪いことをやったから信用できない、あるいは、正直に話そうとしないから信用できない、ビジョンがあって行った不正じゃないし、せこい。「舛添要一」という人物について貶す声もたくさん聞こえています。

法的不備を利用し、事実も明かさず、のらりくらりかわそうとしている舛添都知事。まとめるならば「舛添要一という人物への不信」。これがこの問題の本質です。

法システムの面と感情の面と

5つの問題が内在しているのにも関わらず、そこで語られる事は、コメンテーターたちのそれぞれの所感です。それを整理するような記事もあまり見かけません。別にコメンテーターたちの発言まで否定するつもりはありませんが、問題の本質・全体像が見えづらくなっているのも事実です。

法システムの面の問題と、感情的倫理的な問題。この2つを理解し、さらに、それぞれにどういう問題が内在しているのかということを理解すべきです。

有権者に判断材料を提供するという役割がメディアにはあります。我々が判断しやすい報道を私はメディアに求めます。

月9「ラヴソング」は面白くない?③

ヒューマンドラマとしての『ラヴソング』

 ここからはやっと『ラヴソング』のプラスの面に光を当てて書いていきたいと思います。

 ここまでさんざん書いてきて言うのもなんですが、『ラヴソング』は2つの点でドラマ史に残ると私は思うのです。その2つとは、①社会の鏡として意義、②音楽ドラマとしての意義、です。この2つを順番に見ていくことで、「ヒューマンドラマ」としての新たな『ラヴソング』像が見えてくるのではないかと思います。

①社会の鏡としての『ラヴソング』

 吃音症。「どもり症」とも呼ばれるこの症状に苦しんでいる人は沢山いるようです。しかも、その苦しみは並大抵のものではないようです。今回のドラマを書くにあたり、脚本家の倉光泰子氏は吃音症について相当な取材を行ったようです。演技に関しては、吃音自助グループ日本言友会が監修しています。吃音症を演じる藤原さくらも、実際に吃音症に苦しむ人々と交流しているようです。

 「珍しくないけど、深刻な」症状。吃音という症状はとても身近に存在しています。だけれども私たちは彼ら彼女らの苦しみを理解してはいません。言ってみれば「サイレントマイノリティー」の感覚が、ドラマでこれほどまでに大きく取り上げられたことはないのではないかと思います。しかも、24時間テレビの中でやるような「知ってもらう」ためのドラマにおいてではなく、「エンターテイメント」の一部分として描かれている点に、このドラマの凄みを感じるのです。「drama」が果たすべき社会の鏡としての役割を、このドラマは果たしているような気がするのです。

 吃音という大きなテーマを軸に、佐野さくらと神代浩平それぞれがどのように変化していくのか。今後も要注目です。

②音楽が物語をリードする

 もうひとつの醍醐味は、劇中における音楽の役割だと思います。たいていの場合、劇中における音楽というのは、「x(エックス)」のようなものです。言い換えるならば、「ここに音楽が欲しい」という感情(xという未知数)があって、そこに良い音楽(最適な解)を当てはめていきます。しかしながら、このドラマの場合は違います。初回の「500マイル」、そして「恋の中」が話題になったように、音楽から物語が紡がれていきます。

 佐野さくらが「500マイル」を歌うシーンでは、あの歌でなければあの感動はなかったと私は感じています。次回放送ではまた新しい歌が誕生するようですが、それによって物語がどう転じていくか、私は非常に興味があります。

 「音楽と人の心」という点においても、このドラマが「ヒューマンドラマ」であることを理解していただけたかと思います。音楽系のドラマといえば、近年では「のだめカンタービレ」「表参道高校合唱部」などがありますが、『ラヴソング』における音楽の使われ方はそれらとまた一線を画しているといえるでしょう。

作品の旨味と視聴者の乖離の中で

 つらつらと述べてきたように、『ラヴソング』には何物にも代えがたい魅力があるのです。ただし、前回までの投稿で触れたように、厳しい現実があるのもまた事実です。その良さにフィットする視聴者層が、このドラマを見ていないという悲しい現実があります。

 この記事のタイトルに合わせて述べるなら、『ラヴソング』は面白いです。月9ドラマとしての宿命を背負いながら苦闘を続けていく『ラブソング』を、私は見続けていきたいと思います。(完)

月9「ラヴソング」は面白くない?②

 昨日は、月9ドラマ「ラヴソング」がマズい状況にあることを、データを参考にしながら確認しました。その原因の一つとして「月9」というブランドそのものについて考えてみました。( 月9 「ラブソング」は面白くない?① - 青葉の放言 )

 今日は、ラヴソング不振の要因としてさらに3点挙げ、それぞれについて検討してみたいと思います。(ここまで本記事に記載しています。)加えて、続けてアップする③では、月9「ラヴソング」がドラマ史に与えるプラスの面について、音楽的・社会的な面から、考えていきたいと思います。

 

問題点② キャスティングの危うさ

  実のところ、私は放送前からこのドラマに相当程度注目してきました。というのも、私は福山雅治のファンであり、『ガリレオ』以来のドラマ主演ということで、非常に期待していたからです。

 そんな中で発表されたのは、実年齢「27歳差」の恋愛ドラマであるということでした。フジ系列のワイドショーなどでは、同時に発表された「藤原さくらがヒロインに抜擢」とあわせて大きく取り上げられましたが、正直ネット上での反応はあまり芳しくありませんでした。

 また、年齢差に加え、藤原さくらという、無名で、かつ福山と同じアミューズの人間がヒロインを務めることに対しての批判も目立ちました。2月末に下記のような記事がたくさん書かれていることから、決してそれは言いがかりなどではなく、実際の視聴者の声であったということでしょう。個人的にも、年相応の有名女優(アラフォー女優)との恋愛ドラマになるだろう、と勝手に想像していたので、戸惑ったのを覚えています。( 福山雅治主演の月9新ドラマ 27歳差の恋愛という設定が波紋 - ライブドアニュース )

 ここで考えなければならないのは、なぜこのキャスティングは受け入れられなかったかということです。簡単に言えば、ねじれていたから、ということではないかと思います。1月期の『いつ恋』で若者層に焦点を当てていながら視聴率が伸びなかった、だったら、藤原さくら・菅田将輝で若者視聴率は維持しつつ、福山雅治で視聴者層の拡大を狙おうじゃないか。そんな意図が透けて見えるキャスティングでした。

 私はこの方針自体を否定するつもりはありません。その方針にもかかわらず、宣伝は「福山雅治主演」で行われたことが問題だと思うのです。当然、若者世代の関心は「有村架純高良健吾」に比べれば大きく減ります。若者の需要にこたえられるだけのポテンシャルが藤原さくらにあるかと言われれば、女優未経験の人間にそれを求めるのは酷というものでしょう。こうして、キャスティング報道の段階で、一定数の若者は視聴しないことを決めてしまったのではないかと思います。

問題点③ 福山雅治のブランド低下は否めない

 とはいえ、ヒットメーカー福山雅治です。現代ドラマの主な視聴者である40~50代の層は、彼の支持層とも一致するはずです。実際に、昨日の投稿の中で挙げた関連記事では、40~50代の満足度は決して低くありませんでした。

 ではなぜ、中年層は『ラヴソング』を見ていないのでしょうか。データを見てみると、男性の満足度の方が高くなっている、という点に注目せざるを得ません。福山雅治といえば女性からの絶大な人気が売りですが、そのイメージと矛盾する形のデータが出ているのです。

 そう考えると、やはり結婚の影響を考慮せずにはいられません。昨年9月、吹石一恵との電撃結婚が大きな話題となりました。結婚後初のドラマが27歳年下とのラブソングだと知った時、福山雅治ファンの女性たちはそこに楽しさ・面白さを見出せるでしょうか。非常に疑わしいと思います。タレントイメージランキングのランクダウンなど、諸々データが上がってくる中では、「福山雅治」というブランドの力が低下を始めているという指摘も否定できない状況にあります。

問題点④ プロモーションの完全なミス

 それでもなお、問題点の①から③までは、まだ何とか跳ね返せたと思うのです。内容それ自体とは関係がありませんから。

 個人的な感覚としては、プロモーションの失敗こそが、この低視聴率の最大の要因だと考えています。具体的に言えば、最大の失敗とは、「吃音症」というテーマを隠し続けていたことです。「ヒューマン・ラブストーリー」の「ヒューマン」の部分をあまりに隠しすぎてしまった。「ヒューマン」の部分にこそ、このドラマの醍醐味が存在しているというのに(詳しくは③に記載)。それが最大の失敗だと思うのです。しかもそれは、二重の意味で間違っていたと私は考えています。

 まずは一点目。観るかどうか迷っていた人々に対するアプローチの失敗です。キャスティング発表の時点で、「あ、年の差ラブストーリーか」と思った人は多かったはずですし、前述の通り、その設定に対してマイナスイメージを抱く人も少なからずいたはずです。それを否定することもなく、仲良くギターで生演奏したりするものだから、当然マイナスイメージは変化することもなかったのでしょう。

 次に二点目。第一話を見た人々に対するアプローチの失敗です。「福山雅治だから」という理由で見た人以外は、すなわち、「年の差ラブストーリー」を期待して初回放送を見た人々は、第一話の内容に戸惑っただろうと思います。端的に言えば、あまりに重い。吃音症に苦しむ藤原さくらと、やさぐれた福山雅治。ベタなラブストーリーはどこにも存在しませんでした。満足度があまり上がらなかったのも、そういうことでしょう。

長々とけなしたその先に

 2000字近く用いて、ドラマ『ラヴソング』の不振の原因を突き詰めてきました。特別な思いをもってドラマを見ている方にとっては、この記事は不快極まりないものであると思います。お詫びします。

 ただ、けなして終わるつもりはありません。まだ続きます。『ラヴソング』の醍醐味を、普通の感覚でぼーっと見ているひとりの視聴者として、綴っていくことにしようと思います。

 

(月9「ラヴソング」は面白くない?③」へ続く)