青葉の放言

大学生の戯言を綴っています。身の回りの出来事から政治・社会問題に至るまで雑多なことを書き連ねております。

月9「ラヴソング」は面白くない?③

ヒューマンドラマとしての『ラヴソング』

 ここからはやっと『ラヴソング』のプラスの面に光を当てて書いていきたいと思います。

 ここまでさんざん書いてきて言うのもなんですが、『ラヴソング』は2つの点でドラマ史に残ると私は思うのです。その2つとは、①社会の鏡として意義、②音楽ドラマとしての意義、です。この2つを順番に見ていくことで、「ヒューマンドラマ」としての新たな『ラヴソング』像が見えてくるのではないかと思います。

①社会の鏡としての『ラヴソング』

 吃音症。「どもり症」とも呼ばれるこの症状に苦しんでいる人は沢山いるようです。しかも、その苦しみは並大抵のものではないようです。今回のドラマを書くにあたり、脚本家の倉光泰子氏は吃音症について相当な取材を行ったようです。演技に関しては、吃音自助グループ日本言友会が監修しています。吃音症を演じる藤原さくらも、実際に吃音症に苦しむ人々と交流しているようです。

 「珍しくないけど、深刻な」症状。吃音という症状はとても身近に存在しています。だけれども私たちは彼ら彼女らの苦しみを理解してはいません。言ってみれば「サイレントマイノリティー」の感覚が、ドラマでこれほどまでに大きく取り上げられたことはないのではないかと思います。しかも、24時間テレビの中でやるような「知ってもらう」ためのドラマにおいてではなく、「エンターテイメント」の一部分として描かれている点に、このドラマの凄みを感じるのです。「drama」が果たすべき社会の鏡としての役割を、このドラマは果たしているような気がするのです。

 吃音という大きなテーマを軸に、佐野さくらと神代浩平それぞれがどのように変化していくのか。今後も要注目です。

②音楽が物語をリードする

 もうひとつの醍醐味は、劇中における音楽の役割だと思います。たいていの場合、劇中における音楽というのは、「x(エックス)」のようなものです。言い換えるならば、「ここに音楽が欲しい」という感情(xという未知数)があって、そこに良い音楽(最適な解)を当てはめていきます。しかしながら、このドラマの場合は違います。初回の「500マイル」、そして「恋の中」が話題になったように、音楽から物語が紡がれていきます。

 佐野さくらが「500マイル」を歌うシーンでは、あの歌でなければあの感動はなかったと私は感じています。次回放送ではまた新しい歌が誕生するようですが、それによって物語がどう転じていくか、私は非常に興味があります。

 「音楽と人の心」という点においても、このドラマが「ヒューマンドラマ」であることを理解していただけたかと思います。音楽系のドラマといえば、近年では「のだめカンタービレ」「表参道高校合唱部」などがありますが、『ラヴソング』における音楽の使われ方はそれらとまた一線を画しているといえるでしょう。

作品の旨味と視聴者の乖離の中で

 つらつらと述べてきたように、『ラヴソング』には何物にも代えがたい魅力があるのです。ただし、前回までの投稿で触れたように、厳しい現実があるのもまた事実です。その良さにフィットする視聴者層が、このドラマを見ていないという悲しい現実があります。

 この記事のタイトルに合わせて述べるなら、『ラヴソング』は面白いです。月9ドラマとしての宿命を背負いながら苦闘を続けていく『ラブソング』を、私は見続けていきたいと思います。(完)