青葉の放言

大学生の戯言を綴っています。身の回りの出来事から政治・社会問題に至るまで雑多なことを書き連ねております。

「お気持ち」表明の本当の意味

はじめに

 一か月以上に及び記事を更新できませんでしたが、ここからまた少しずつではありますが更新を続けていきたいと思います。

衝撃的な「生前退位」

 7月の半ば、衝撃的なニュースが飛び込んできました。今上天皇が「生前退位」の意向を示された、というニュースです。日本中が驚きました。

 世間の反応はというと、生前退位ってなんだ?とか、平成終わるじゃん!のような声が高まり、普段あまり耳にしない皇室のニュースにざわざわしていたような気がします。天皇の体調のことも心配しているけれど、それより「元号」のことが気になる、というのが本当のところではないのでしょうか。

 一時的に盛り上がったとはいえ、それからの一か月間は比較的落ち着いた形でその流れが進められてきました。そして8月8日、午後3時から「お気持ち」という形で、天皇のビデオメッセージが公表されました。国内外からの様々な反響はありましたが、実際は、リオオリンピックにかき消されそこまで大きな話題とはなりませんでした。

 そして9月5日、「特措法」による特例という形で生前退位を認めることが報道により明らかになりました。同時に皇室典範改正、女系・女性天皇問題など皇室に関わる問題が政治問題となってきています。以下では、今上天皇が描く「天皇像」を読み解きながら、その天皇像がもたらす功罪を検討してみたいと思います。

「お気持ち」表明全文を読んで―天皇とはどうあるべきか?

 天皇の「お気持ち」をすべて読むと、天皇陛下自身の価値観が少しずつ見えてきます。「天皇とは、どうあるべきか?」という深淵な問いに真摯に向き合い続けてきた天皇の苦悩が見えてきます。

 

『自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。』

 この表現が、象徴天皇としての役目を定義した部分として語られています。天皇といえば、被災地などを訪問したり、式典でおことばを述べたりすることが役目だ、というイメージを抱く方も多いでしょう。しかし今上天皇は、こころのあり様をもって自らを定義づけたのです。

 憲法では国事「行為」を行うものとして定義づけられている「天皇」ですが、今回のお気持ち表明は、法による定義でないとはいえ、天皇自らが天皇を再定義したものと評価することもできるでしょう。

 そして、この定義は憲法における天皇をより進化させたものであると評価できるでしょう。外見的な行為だけでは足りず、内面的な心のあり様まで評価の対象となる、というものだからです。「象徴天皇というものは、存在それ自体が価値を持つものではない。国民の心に寄り添ってはじめて価値を持つのだ。」という天皇の理想と強い意志が垣間見えます。血統的にも道徳的にも「立派な」天皇というものを今上天皇は追い求めていると言えます。

 こうした「お気持ち」表明は、先の戦争に対する猛烈な反省を起点としていることも間違いありません。以下ではここまでの記述を歴史的な観点からさらに深く分析してみようと思います。

「人間である」ことの追求

 「お気持ち」から読み取れる事について偉そうに書いてみましたが、偉そうついでにさらに話を展開させてみたいと思います。

 

 今上天皇による「お気持ち」表明の背景にあるのは〈「人間」であることの追求〉であるように思います。日本の歴史を簡単に振り返りながら、「神」的な天皇から「人間」的な天皇への変動を振り返っていきましょう。

 日本の歴史の始まりといえば、神武天皇に始まる「古事記」や「天皇記」の世界です。この時代、天皇はまさに「神」でした。神の子孫が天皇であるという認識のもと、皇族による統治が進み始めるのです。聖徳太子天智天皇中大兄皇子)、天武天皇といった時代には、「皇族」であることが為政者の条件でした。

 その権威を外側から利用しようとした者たちがいます。藤原道長であり、平清盛であり、江戸幕府であり、明治政府です。藤原家や平家は、娘を天皇の后にして自らが天皇の外祖父となるという手法で権力を伸ばしました。江戸幕府も、17Cには「天皇の上に立つもの」と自らを位置付けていましたが、18C後半から19Cにかけては「天皇から統治を信託されたもの」として、天皇の権威を借りる形で政治を行いました。日本の歴史は「天皇の威を借る狐」たちによって動かされてきたといっても過言ではありません。

 大日本帝国憲法下の日本では、「万世一系ノ天皇」が「統治」することとなりました。戊辰戦争の「錦の御旗」や「王政復古」に象徴される通り、明治政府は自らの権力のために天皇を積極的に利用しました。

 そして時代は昭和へと下ります。戦前、軍部の青年将校たちが昭和天皇を「担いで」日本を第二次世界大戦へと導いたことはいうまでもありません。そして日本は戦争に敗れました。この結果、「天皇」像が大きく変わることとなります。1946年の元日に発表された昭和天皇による所謂「人間宣言」は、まさに「神」的な天皇の終わりと「人間」的な天皇の始まりを宣言したものでした。同時に世論は「神」が「政治化」することの怖さを痛感しました。昨今議論されている全体主義への忌避はここに起源を有します。

 改正された日本国憲法下では、天皇は「日本国民統合の象徴」になりました。天皇は人間であることを前提として、国民の象徴として国事行為を行うようになりました。憲法天皇は「国民」ではありませんが、「一人の人間」として社会の中に位置づけられたといえます。

 

 「神」による政治から「天皇(神)の威を借る狐」たちによる政治へ。その流れの中で「天皇(人間;国民)の威を借る民主制」が展開されたことは時代の要請だったのかもしれません。

 

 この「人間」としての天皇像が、まさに上で述べた「立派な」天皇像なのです。神ではなく、国民として生きることこそが、天皇の務めなのだ、という今上天皇の意思が伺えます。天災が起これば駆けつけて被災者を励ますこと。土葬から火葬へ切り替えるなど、歴代続いてきた慣習に拘りすぎないこと。テロが起これば、たとえ外国の出来事であろうと深い悲しみを示すこと。「日本国民統合の象徴」という半ば押し付けられた抽象的な存在を受け入れ、自分自身を「国民」「人間」に近づけようという姿が見て取れます。

 その意味で、逆らおうにも逆らい得ぬ高齢化は、「人間」であることの追求を阻むものだったといえます。現在の日本には、0歳の赤ちゃんから100歳を超える老人まで、1億2000万の国民がいます。彼らのあらゆる素晴らしさやあらゆる悲しみやあらゆる習慣を体現する「象徴」としての役割を、81歳の老爺(あえてここではこの表現を使います。)が背負っていくのは厳しすぎる、と今上天皇は判断したのです。摂政の可能性を否定したのも、他者に利用されることで「国民統合の象徴」から御簾の向こう側の「神」へと逆戻りしてしまうことを恐れたからではないでしょうか。

 

議論すべきことは何か?

 巷では様々な議論が展開されています。このケースを法的にどう処理すべきなのか、女性天皇も同時に認めるべきでないか、といった議論です。しかしながら、いずれの議論も、戦後70年来重ねられてきた議論ですが、一向に結論への道筋は見えてきません。

 

 今、議論すべきは「天皇にどこまで求めるべきか?」ということではないでしょうか。確かに、今上天皇は、国民の7割以上が支持するような「立派な」天皇像を築き上げました。しかしながら、20年あるいは100年先を見据えた場合、この今上天皇のレベルが高いハードルとなる可能性も否定できません。遠い将来、もし仮に血統的に天皇家の存続が危ぶまれ、かつ、天皇に高いレベルの国事行為が課されるような場合、天皇制自体の存続が難しくなるかもしれません。

 「多少国事行為の量や質が低下しようとも、天皇制を守っていくべきだ。国を動かすのは、国民から信託された三権だ。」という価値観と、「天皇という存在が形骸化し他者に利用されてしまわないように、ハイレベルの道徳的な国事行為を実行できる人物だけが天皇になるべきだ。その結果、天皇制が危機に陥ろうとも致し方ない」という価値観の衝突です。

 もちろん、今上天皇天皇制の危機を招こうとしているのではありませんが、将来的にはそのような展開もあり得るのです。私は、どちらかといえば、後者の価値観に与しますが、国民を巻き込んだ民主的な議論が待たれるところです。天皇が「日本国民統合の象徴」である限り、その存在がどうあるべきか?ということについては国民が決定すべきです。皇室典範の改正や女性天皇の容認などの問題も、こうした議論の中から結論が導かれるものと思われます。さらなる議論の中で、本質的な問題が検討されることを期待しています。