青葉の放言

大学生の戯言を綴っています。身の回りの出来事から政治・社会問題に至るまで雑多なことを書き連ねております。

仕事はそこにあるか――自由貿易とAIの波のなかで

トランプ氏の就任演説

 昨日、トランプ氏がアメリカ合衆国大統領に就任しました。就任演説で語られたのは、確かな「価値観」だと私は感じています。ブッシュには「民主主義の敷衍」という価値観が、オバマには「マイノリティへの寛容」という価値観が、それぞれ確かに存在していました。それに対し、経済の再生を訴えるトランプ氏の政策はビジョンがない、価値観がない、とさんざん叩かれてきました。

 しかし、昨日未明に行われた演説では、氏の確かな価値観が「言葉」として示されていました。それは「人民のための政治」ということであり「民主主義の原点に立ち帰る」ということでした。ポピュリズムと揶揄されようが、アメリカを良くするために、行動の時代を突き進むのだ、という氏の揺るぎない決意が改めて示されたものだったように思います。(トランプ氏のこの演説について様々な評がなされていますが、トランプ氏本人としては「せっかくの就任演説だからきれいな言葉を載せてみせよう」ぐらいの感覚しか持っていないのではないかと思っています。逆に言えば、オバマクリントンの演説は素晴らしいですが、さらっと言葉でカモフラージュしている部分も多いということです。)

 私個人としては、こうした演説は原文で読んでいただきたい、というのが率直な気持ちです。日本人識者の「私情」がねじ込まれた和訳は――それはそれで意味があるかもしれないけれど――氏の思いを理解していることにならないと思うのです。

トランプ氏の就任演説 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170121-38702737-bbc-int

オバマ氏の就任演説

http://english-learninghelp.com/obama_president_speech/

失業の構造

 

 さて今日、考えたいのは「職」についてです。アンチグローバリズムとも呼ばれる「保護主義」の流れが昨年から盛り上がってきているのはなぜなのでしょう。あるいは、AIの台頭によって、わたしたちの「職」はどのように変化していくのでしょうか。先進国と呼ばれる国々における「失業」の構造について、今日は考えてみたいと思います。

 まず、失業について考える前に、ここでいう先進国とは何か、ということについて触れておきたいと思います。実際、先進国・後進国という表現には若干の違和感がありますし、developed/developing countriesと表現してみても、「発展し終えた・発展している」とは何なのか、どの程度栄えていれば先進国なのか、よくわからなくなります。ということで、今回の投稿の中で、先進国と呼ぶのはOECDに加盟している32か国に限定して話を進めていくこととします。

 こうした前提のもと、以下では、失業という問題について2つの点からアプローチしていきたいと思います。一点目は、自由貿易に伴う国内分業の限界という視点、二点目は、高度の情報化に伴うAIの脅威という視点です。順に見ていくことにしましょう。

自由貿易は悪か?

 

 今、戦後グローバリズムの流れが、試練の時を迎えています。ブレトン=ウッズ体制、IMFGATT体制に始まり、戦後世界のリーダーたちが追い求めてきた「自由貿易」という理想が、過渡期を迎えているのです。

 そもそも、なぜ、我々は自由貿易を志向するのでしょうか?それ以前に、「自由貿易」とは何でしょうか?

これを考えるためには、18世紀のアダムスミス、19世紀のリカードの考え方から振り返る必要があります。18世紀のアダムスミスは、関税を中心とする保護貿易を目指す重商主義を批判しました。そして、関税を含む国家の介入を排し、自由に貿易を展開することで経済が発展・向上すると指摘しました。19世紀のリカードは、比較生産費説を説きました。比較生産費説とは、比較優位にある国(効率的に生産できる国)がその製品に特化して生産活動を行うこと、そしてその生産した商品を自由貿易で交換することによって、経済が発展していくのだ、という説です。

こうした中で、戦後は経済統合の歴史が進められてきました。ブロック経済保護主義)が第二次大戦を引き起こした一因となったという反省を受け、経済的に相互依存している状態をつくれば、戦争も起きにくいだろう、ということで、自由貿易が進められたのです。ブロック経済のキモであった「関税」を取り除くことが戦後の最大の課題でした。GATT以来の戦後国際経済は、関税撤廃の歴史でもあります。現在はWTOの主導の下、世界的な自由貿易の流れが進められています。また、EU内において関税が廃止されているだけではなく、NATONAFTATPPといった地域的な関税協定も先進国間で数多く結ばれてきました。

 

 しかし、こうした比較生産費説・自由貿易には大きな欠点があると言われています。国内分業が許されなくなる、という点です。リカードの比較生産費説では、ある国はある製品の生産に特化することが前提となっています。しかしながら、その国のすべての人間がある産業に特化するというのはかなり非現実的です。よって、無理に分業を推し進めてしまうと、「その産業で働きたい!」と思う人以外は働かないこととなり、かえって失業者が増加してしまうのです。

 さらに、先進国では、高い人件費も失業原因の一つとなっています。MUFGによる「アジア各国の一般工の米ドル建て月額賃金の比較」をみると、2015年、オーストラリアの人件費は3508米ドル、横浜の人件費は2588米ドルであるのに対し、マニラの人件費は317米ドル、ハノイの人件費は181米ドルです。企業としては、先進国で生産するよりも圧倒的に低コストに抑えられるので、発展途上国で製造するという選択をとるのです。ですから、先進国では求人数が減り、失業数が増えるのです。

実際、アメリカも自由貿易化の影響を大きく受けてきました。日本との自由貿易NAFTAでの関税低減により、アメリカ北西部の自動車産業が衰退したことには触れておかなければならないでしょう。以下は4年前のウォールストリートジャーナルの記事ですが、ミシガン州デトロイトの惨状が明らかになっています。(こうした地域の人々が冒頭で触れたトランプ演説におけるforgotten men and womenなのです。実際に先日の大統領選でも民主党有利と思われていたミシガン州でトランプ氏が勝利したことは大きな衝撃として日本でも伝えられました。)

http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304250704579098834091888494?mod=WSJJP_hpp_MIDDLENexttoWhatsNewsFirst

 こうしたミシガンの衰退と軌を一にするように、アメリカ自動車製造業のビッグスリーリーマンショック後の2009年に次々と倒れました。自由貿易と高い人件費によって先進国の産業が衰退した(=雇用が失われた)例の一つと言えるのではないでしょうか。自由貿易と雇用に関する議論は、もっと奥が深いものなので、またあとで筆を改めることにしようと思います。

AIの発展の先に  

 先進諸国のもう一つの側面、「高度な科学技術」という点から見ていきたいと思います。ブルーワーカ―・ホワイトワーカーという職種の区分けで語られることが多いですが、今日はそれよりももっとシンプルに考えていきたいと思います。

 

 「技術進歩」とは、言い換えれば人間と機械の闘争である。そんな見方も可能であると私は思っています。産業革命の際、イギリスの繊維工業者たちは新しく導入された機械を壊す運動(ラッダイト運動)を行いました。一番わかりやすいのはラッダイト運動でしょうが、インターネットが導入されたときも、少なからず抵抗はありました。なぜ、人間は抵抗するのでしょうか。それは、仕事がなくなるからです。産業革命によって紡績はすべて機械がやってくれるようになりました。人々の暮らしは便利になった一方で、紡績業に従事していた人々の職は奪われる結果となったのです。

 

 まず、製造業はこの機械化の波の影響を強く受けていると言えます。産業革命以来、最初に新技術の導入が進められてきたのはいつも製造業です。一連の規則的な作業は機械化されやすく、トヨタ自動車などでは大掛かりな機械を次々と導入しコスト削減を図っています。

 同時に、今後はAIの台頭により、製造業以外のフィールドでもあらゆる職が自動化されていくことが明らかになっています。

https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspx

2015年末に野村総研が発表したこのデータでは、現在行われている仕事の49%がAIによって10~20年後までに代替可能になるということが示されています。自動運転然り、スーパーのレジの自動化然りというところですが、便利になると同時に、現在そこで働いている人の職が奪われるということも忘れてはなりません。

先進国の仕事のこれから

 

 先進国における失業、職業のこれからを考えていくと、そこには無秩序な自由貿易への懸念と、自動化への懸念に直面することになると思います。

 そこで必要になるのは、どこまで自由貿易を進めるのか、あるいはどこまで機械に頼るのか、というバランス感覚であり、そのバランス感覚を兼ね備えた新しいシステムを模索する独創性である、ということ。これが、不確実性にまみれた2017年において考えられる、精いっぱいの未来予想図なのではないでしょうか。

 今回は概論的なもので終始してしまったので、落ち着いたらそれぞれ論点についてまた筆を改めて書きたいと思います。