青葉の放言

大学生の戯言を綴っています。身の回りの出来事から政治・社会問題に至るまで雑多なことを書き連ねております。

加計学園問題の終着点はどこか

紛糾する加計学園

 金曜日、加計学園問題に関する「内部文書」について、再調査が行われることとなりました。天皇生前退位に関する特例法案とあわせて、金曜日の2大ニュースだったように感じます。

 この加計学園問題については、獣医学部の設置が適切な手続きのもとで進められたか、官邸、内閣官房などから文科省に圧力が働いたのか、という点が論点になってきました。与野党が激しい舌戦を繰り広げています。

 文科省で出回ったとされる文書については、幾分か注意してみていかねばならないと思っています。まず、文書が実際に存在したのかということです。これについては、存在したのは間違いないといって問題ないでしょう。次に、その文書に記されている「総理の意向」というものに注目すべきです。どのようなプロセスで、どのような「意向」が文科省に伝わったのかということです。「規制緩和推し進めろ!」という意向ならば、何ら問題はありません。「『友達の』加計くんのところよろしくね」だったら大きな問題となります(総理は一切の関与を否定していますが)。実際に総理本人から直接言われたのか、あるいは総理周辺から指示が飛んできたのか、はたまた文科省自身が「忖度」したのか。事実関係はきっちりと明らかにされるべきであり、それを拒み続けたのは政権にとってもプラスに働くことはあり得ないでしょう。

 

終着点を意識した議論を

 しかしながら、この問題につい貴重な国会の時間が割かれるのは、一国民として望ましいとは考えていません。終着点を意識した議論をしてほしいというのが、正直なところです。民法債権法分野の大幅改正、刑法(共謀罪や性犯罪の厳罰化)に関する改正、天皇制に関する議論、憲法に関する議論など、より高次元の論点についての議論はもっと行われるべきでしたし、これからも行われるべきです。

 では、加計学園問題がこのまま終わってよいのかと言うと、そんなはずはありません。どこを終着点にすべきなのでしょうか。

 終着点は存在しない、と言うのが私の感覚です。

 それはこの問題が、誰にも責任転嫁しにくい、官僚機構の構造上の問題であり、「逮捕」や「辞任」、「解職」で型のつく問題ではないからです。

 総理が仮に口利きをしていたのだとしても、加計氏からその見返りに何かを受け取っていなければ、罪には当たりません。そして、口利きと規制緩和号令の区別が明確に区別しにくい以上、それは「政策の良し悪し」の問題になるということです。

 とすれば、その政策評価の観点から、実際に獣医学部が必要だったのか、需要と供給の面から、経済学的に分析が加えられるべきです。そうした議論や報道には残念ながら全く出会っていないのですが。

 そうした評価を行えば、総理の関与の有無、その形態に関わらず、自ずと内閣支持率はあるべき方向に動いていくはずです。ある意味ではそれがこの問題の終着点なのであり、ある意味では明確な終着点は存在しないということなのです。