青葉の放言

大学生の戯言を綴っています。身の回りの出来事から政治・社会問題に至るまで雑多なことを書き連ねております。

若者は右傾化しているのか①

 

一週間後に選挙を控えて

 

 投開票日を一週間後に控え、総選挙の議席予測が盛んに発表されています。大手新聞各紙によると、「自民党単独過半数」、「自民・公明あわせて300議席前後」ということで、政権交代はまず起こりそうにありません。一方の野党はというと、希望の党が大失速で50~70議席前後にとどまるという予測に対し、立憲民主党は公示前の3倍近くとなる45議席ほどが見込まれているようです。

 本来であれば、そうした選挙予測等を行いながら、今後の国内政治情勢について述べるべきなのかもしれませんが、今日は少し違ったテーマを取り上げたいと思います。

若者は「右傾化」している?

 

 

 「若者は右傾化しているのか」ということです。10月12日の朝日新聞デジタルには「自民支持根強い若年層」という記事がありました。考えてみれば、「ネトウヨ」の存在をはじめとして、「若者の右傾化」はここ数年確かに様々な場所で話題となっています。それを裏付けるようなデータが、今回の選挙で示されているとみることもできるでしょう。

 

 しかし、「自民党支持=右傾化」なのでしょうか。若年層はみんな「ネトウヨ」なのでしょうか。私自身は、20代の一学生として、「若者の右傾化」には違和感を抱きます。ですから、若者の「右傾化」について、思うところを書いてみたいと思います。

 

 結論から言うと、第一義的に、若者は「保守化」しているということです。ここでは、「保守化」と「右傾化」「右翼化」とは違う意味だと捉えていただきたいと思います。「保守化」と「右傾化」について、私自身の整理を書いておきましょう。

 政治の世界では「保守」というと「家族を大事に」といった共同体主義や、あるいは「靖国参拝」という復古主義とか、そういうイメージで語られがちです。しかし私は「保守」というものをもっと素朴な意味で使いたいと思います。「いまの現状、現代社会の良さを維持する・守る」という意味です。

 それに対して、「右傾化」は排外主義や復古主義に走ることを意味します。「ネトウヨ」の言説はこちらに含まれます。

 

 今の若者は「保守化」している。それが第一義的な回答です。どういうことかというと、「明日、あるいは10年後、社会がよくなるとは思っていない」ということです。そこに「変革」「革命」のエネルギーはありません。そこにあるのは「現状維持」のエネルギーであって、「アメリカンドリーム」「下剋上」の空気ではないのです。

 

 理由の一つには「先進国」としてのナショナリズムがあるでしょう。多くの教科書には戦後の復興や経済成長が記載されていますし、マスメディアも先進国としての日本を声高らかに報道します。「中国では、」「アフリカでは、」中進国や後進国(とカテゴライズされる国)の映像を見て、「そういう国なんですね」というコメントをしている評論家のなんと多いこと。そうした社会で育った日本の若者には「先進国」としての意識がしみついています。

 他には、技術的な成熟も考慮しておく必要があるでしょう。スマートフォンをもっていれば、一人でいろいろなことができます。スーパーや本屋といった共有スペースにわざわざ出向く必要はなくなり、あらゆることがAmazonとのやりとりで済むようになりました。急な用事があれば、最寄りのコンビニへ。技術こそが、自分たちの生活をより良いものにしてくれているという明確な自覚があります。

 

 そうした社会は、「不可解なデータ」(大澤真幸『可能なる革命』2016年、太田出版)を生み出します。そのデータが示すのは、若者の約8割が今の生活に「満足している」と回答しているという事実です。

 社会の現状を見てみれば、格差も拡大し、非正規雇用の割合が増加し続けています。少子高齢化には歯止めがかからず、国の借金も減る気配すら見えません。そういう現状にも関わらず「満足している」と答える若者が多いのです。「満足している」なら現状を変える必要はありません。このデータこそが若者の「保守化」を端的に示しています。ではなぜ、若者は「満足している」のでしょうか。

 

 それは、逆説的ではありますが、今後の日本社会に希望を見出せないからです。希望を見出せないからこそ、すなわち絶望しているからこそ、現状に「満足」し、これ以上悪化しないように保守化しているのです。

 高橋優の歌ではありませんが、「明日はきっといい日になる」と本気で思えたなら、それは「改革」「維新」を起こすエネルギーになるはずです。「もっと良くなるはずなのに良くない」というもどかしさ、われわれはそれを不満と呼びます。不満があれば、「改革」の手段として野党に投票するでしょう。

 しかし、今の若者にはその希望がありません。「先進国」意識のしみついた日本に、そのうち中国やシンガポールに追い越されていくであろう日本に、この10年でどんな「改革」を望むというのでしょうか。明日を変えるのは技術であるという確信のもとで、政治に何を求めるというのでしょうか。今の「なんとなく平和」な生活が送れればそれで良いのです。スマートフォンを禁止にされないかぎり、「ガチャ」を禁止にされないかぎり、若者が、与党の打倒にエネルギーを割くことはないでしょう。「これ以上良くなりようがないから、良い社会じゃないけど受け入れよう」という『さとり』の感情がそこにはあります。

 つまり「明日はきっといい日にならない」という確信が、若者の自民党支持の背後にはあるのです。その意味では「希望」を提示することこそが野党の意味であり、「希望の党」の立ち上げはその点において正しかったと私は考えています。その「希望」が、本当の「希望」として若年層に受け入れられていくのでしょうか。それこそが、これからの政治の一つの注目点だと考えています。

 

 今回の議論は、大澤真幸『可能なる革命』や古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』を参考に書いています。このような「若者論」を、社会学の観点からデータも踏まえて読んでみたいという方は、ぜひそちらの2冊を読んでいただきたいと思います。次回は、今回あまり触れなかった「右傾化」「右翼化」について補足的に述べたいと思います。「右傾化」「右翼化」しているわけではないのなら、「ネトウヨ」の存在をどうやって説明するか、とお思いの方もいるでしょう。ネットメディアの席巻と若者の右傾化について考えます。