青葉の放言

大学生の戯言を綴っています。身の回りの出来事から政治・社会問題に至るまで雑多なことを書き連ねております。

虚しさを超えて~衆議院総選挙総括①~

 きわめて虚しい選挙でした。

 今夜、第48回衆議院議員総選挙の開票が始まりました。テレビ各社の速報によれば、自民党単独過半数は確実、自民・公明での3分の2がどうか、というラインです。

 この結果は、事前の議席予測と大差ない結果であり、驚きは一切ありません。強いて言えば、共産党が想像以上に苦しんだ(13議席程度)ということでしょうか。

 

「悪さ」と「悪さ」の戦い

 

 いずれにせよ、虚しさが残ります。「良さ」と「良さ」の比較で投票した人がどれだけいたのでしょうか。「悪さ」と「悪さ」の戦いで、より「マシ」な方に投票した人が多かったのは間違いないでしょう。

 与野党双方についても虚しさが残ります。先ほどのテレビ番組で「そういう名前を付けない」という小泉進次郎氏の発言からもわかる通り、「国難突破解散」というネーミングには批判も多くありました。この秋に選挙をする意味がよくわからないままの総選挙であったように思います。加えて、ここ数週間で行われた世論調査を見れば、内閣不支持率が内閣支持率を上回っているもののたくさんあります。なぜそんな状況で自民党が圧勝するのでしょうか。

 野党にしても、民進党の解党と希望の党・立憲民進党結党は何を意味したのか、選挙を経た今でも一向にみえてきません。「なんかゴタゴタしてるなあ、党の名前も覚えられないよね、」というのが一般的な感覚でしょう。

 「保守」とか「リベラル」という言葉が独り歩きして、イメージしにくい政治学的な言葉で報道が行われたことも、虚しさを増幅させたでしょう。枝野・立憲民主党代表の「私は保守」という発言は、政治学的には間違いありませんが、「リベラル」の排除という報道以来の混乱は、最後まで収束しませんでした。政治がまた遠いものになりました。

 

政策・思想と政党は一致するか

 

 われわれは何を、誰を、選んだのでしょうか。私自身も投票しましたが、その投票先については、非常に迷いました。というのも、「政策のセット」と「思想」が見えなかったからです。

 野党は、政策のセットを提示することができませんでした。急な解散で政策がつめられなかった希望の党や、「護憲」として分裂しながら選挙戦では「草の根」を謳った立憲民主党です。希望の党の基本政策は自民党とほとんど一致していたし、立憲民主党も、過去の民主党政権の反省をどう踏まえて政策をどう変えたのか、ほとんど示されませんでした。

 自民党と安倍政権については、思想がまるで見えてきませんでした。自民党はそもそも、同じ政党であることが奇跡であるかのような政党です。とくに経済政策について、麻生太郎氏を中心とする緊縮財政の路線と、官邸が主導する財政出動的政治の対立があります。それでいて、官邸は「規制緩和」を打ち出し、石破氏らを中心とする「規制緩和」に慎重派と対立しています。そこにどんな思想があるのでしょうか。今回の選挙にひきつけて言えば、「幼児教育無償化」を自民党が打ち出したことに不信があったのは事実です。政治史の問題になるでしょうから、これ以上は立ち入りませんが、少なくとも、自民党という政党は(もしかしたら野党以上に)「思想」が氾濫していると言えるでしょう。

 

二大政党制か、多党制か、を論ぜよ

 

 そういった混迷のなかで、強い言葉を使えば「絶望」の中で、日本はどこへ向かうべきなのでしょうか。

 国会議員の皆さんにこのブログから意見を述べるとすれば、超党派で党システムの枠組みを決めてほしいということです。極端な話をすれば、「政策」を基準に政党をつくるのか、「政権奪取」のために政党をつくるのか、ということです。前者は小池都知事や枝野立憲民主党代表の立場であり、後者は小沢一郎氏や自民党のようなスタンスです。

 別に「数」の論理に走っても良いと僕は思っています。しかし、そこで政策至上主義にはしって、中途半端になってはいけないのです。自民党にも同じことが言えます。野党が分断したときに、安倍政権がこの先行き詰ったときに、「自民党」はどういう道を選ぶのでしょう。90年代以前のように派閥が前面に出てくるのでしょうか。それとも自民党も分裂の道を選ぶのか。

 つまり、「比例・中選挙区制による多党制」なのか「小選挙区制による二大政党制」なのか、合意を見出す努力をしてほしいと個人的には思います。

 それこそが日本の民主主義を進化させる一つのカギになるでしょう。アメリカやイギリスで揺らぎを見せている二大政党制か、それともドイツなどの多党制を模した制度にするのか、その一長一短を吟味・選択することをしてほしいのです。

 加えて、これは私見ですが、「共産党」というネーミングはやめた方が良いと思います。共産党は極めて現実的な経済左派政党になりつつあります。イギリスのジェレミー・コービンやアメリカのバーニー・サンダースに近い部分もあります。しかし「共産」という言葉、あるいは非現実的な安全保障政策が独り歩きしてしまい、なかなかまともに取り合ってもらえない状況にあります。安保政策で大転換をし、象徴的な人間を数名入れ替えれば、経済左派の政党として立憲民主党と相当程度協力できると思っています。二大政党制の方向性にむかうならば、「共産党」という看板はおろすべきでしょう。それが日本の左派の進化をもたらすと私は思います。

 

虚しさのその先 

 「虚しさ」は誰もが感じているはずです。選択肢がない、あるいは消去法の選択、という中で感じた虚しさがあるはずです。有権者の虚しさに加え、国会議員も虚しさを感じているでしょう。「無風」で勝った虚しさ、「躍進」したけれど遠く及ばない虚しさ、「何のために離党したのか」という虚しさ。

 選挙運動中に踊った言葉を並べてまとめましょう。この虚しさはある種の「国難」です。「この国を守り抜く」ためには、虚しさをカバーすることのできる「改革」「革命」、すなわち党システムの改革を、与野党で一つになって進めていってほしい、そして国民の側も声をあげなければならない、私はそう思います。

 その先に「希望」はあるでしょう。「まっとうな政治」があるでしょう。その先に「自由民主主義」があり「立憲民主主義」があるのです。

 今夜の虚しさは、台風21号の通過とともに忘れ去ってはいけません。このままでは、その先に広がるのは台風一過の晴れ間ではなく、暗澹たる民主主義です。